紅葉の平泉・中尊寺

2023-11-1(水)

10年、いや20年ぶりでしょうか?
紅葉の平泉中尊寺を訪ねてきました。

岩手県内に住みながら数度しか訪れたことのない平泉に、紅葉の中尊寺を紹介する地元テレビの様子に誘われ訪れてきました。

久方ぶりに訪れた中尊寺は、昔のひなびた雰囲気などどこにもなく、岩手県内随一と言っても良いほど観光施設や参道などが整い、立派な観光地へ変貌しており嬉しい誤算でした。

そしてなんという偶然でしょうか、金色堂の前で俳優の高橋英樹さんの番組ロケにバッタリ遭遇してしいました。

金色堂前で収録中の高橋英樹さん

私には高橋英樹さんは、NHK大河ドラマ「竜馬がゆく」やフジテレビの「旗本退屈男」、日本テレビの「桃太郎侍」などテレビ番組の時代劇俳優というイメージです。
たしか、2005年の宮尾登美子原作『義経』では奥州藤原氏の当主藤原秀衡を演じておられますので、平泉・中尊寺とはご縁があるかたです。

金色堂へむかってくる高橋さんに周囲の女性から歓声が!

それが、まさか中尊寺でご本人にお会いできるとは、とてもラッキーな日となりました。
撮影スタッフに案内され足早に歩く姿は、身長も181cmおありになり、颯爽としてさすがの貫禄です。

この日(11月1日)は、秋の藤原まつりが行われ、10時から四衡公追善法要・本堂・法華三昧 稚児行列などが行われていましたが、私達夫婦は“紅葉の中尊寺”を写真に収めながら、ゆっくり堪能させて頂きました。

ここからは、写真を中心に“紅葉の中尊寺”をご紹介いたします。

1、表参道入り口と月見坂

バスでお見えの団体観光客の皆さん、台湾からお見えかと…
参道は結構な登り坂です、雨水は左右に流れるよう配慮されています

2、通称 辨慶堂(弁慶堂)

月見坂を進むと最初に八幡堂(左側)があり、その次に「辨慶堂(弁慶堂)」(左側)があります。
御堂は文政九年に再建、中に義経公と辨慶(べんけい)の木造が安置されています。

左に大薙刀を持つ辨慶(べんけい)、実寸台の木造ですが大きい!!

3、地蔵堂

辨慶堂(弁慶堂)の先右側にあります。
創建は12世紀初頭の奥州藤原氏初代清衡の時代と伝えられていますが、1877年の火災で焼失し、現在の建物は1907年に再建されたものです。
堂内には、本尊の地蔵菩薩立像(国宝)をはじめ、数多くの地蔵菩薩像が安置されています。本尊の地蔵菩薩立像は、12世紀中期の作で、平安時代後期の彫刻の様式をよく伝える作品です。

地蔵菩薩を祀る堂宇です

4、中尊寺塔頭 薬師堂

辨慶堂(弁慶堂)の次が薬師堂(左側)。薬師堂は藤原清衡公が建立し、本尊には慈覚大師作と伝えられる薬師如来立像が奉られ、脇仏として日光菩薩立像、月光菩薩立像が安置されています。

明暦三年(1657年)現在地に移転された

5、中尊寺本堂

天台宗の総本山である中尊寺の中心となる建物です。
本堂は、奥州藤原氏の初代清衡によって1124年に創建されたもので、当初は「二階大堂」と呼ばれていました。1189年の奥州藤原氏滅亡後、一時荒廃しましたが、14世紀に再建されました。その後、何度か火災に見舞われましたが、現在は1863年に再建された建物が残っています。

本堂は、桁行3間、梁間5間、平面は正方形の単層建物で、屋根は檜皮葺の入母屋造です。
正面には唐破風が付いており、その下に「中尊寺」の扁額が掲げられています。

堂内には、本尊の胎蔵界大日如来坐像(国宝)をはじめ、数多くの仏像が安置されています。本尊の胎蔵界大日如来坐像は、12世紀初頭の作で、平安時代後期の仏像彫刻の様式をよく伝える作品です。

この日は、色鮮やかな紅葉の下、菊愛好家による菊の展示会が行われており、丹精こめた作品がいくつも並んでいました。
また、2024年は金色堂建立900年を記念して、豪華な作品も記念展示されています。

6、不動堂

さらに先に進むと、不動堂があります。(左側)
創建は12世紀初頭の奥州藤原氏初代清衡の時代と伝えられていますが、1877年の火災で焼失し、現在の建物は1907年に再建されたものです。

堂内には、本尊の不動明王立像(国宝)をはじめ、数多くの不動明王像が安置されています。本尊の不動明王立像は、12世紀中期の作で、平安時代後期の仏像彫刻の様式をよく伝える作品です。

不動堂には、数多くの不動明王像が安置

7、讃衡蔵(拝観券発行所)

不動堂を後にし、右手の峯薬師堂・大日堂を拝観しながら進むと、左手に一層大きな建物「讃衡蔵(拝観券発行所)」があります。

讃衡蔵(さんこうぞう)は、1955年(昭和30年)に開館した中尊寺と山内寺院の文化財を収蔵・展示する施設で、3000点以上の中尊寺の国宝・重要文化財が収蔵されています。
その名称は、奥州藤原三代(清衡・基衡・秀衡)の偉業を讃えるという意味で付けられました。現在の建物は2000年(平成12年)に新築されたもの。

ここで金色堂の拝観券を購入します

また、讃衡堂は金色堂の拝観券発行所となっており、金色堂の拝観券料金は、以下の通りです。

  • 大 人:800円
  • 高校生:500円
  • 中学生:300円
  • 小学生:200円

障がい者手帳をお持ちの方は、拝観券発行所に手帳を提示していただくことで料金が半額となるようです。

8、金色堂

中尊寺金色堂は、岩手県平泉町にある中尊寺の境内にある、平安時代後期の仏堂です。
奥州藤原氏初代藤原清衡が天治元年(1124年)に建立したもので、平等院鳳凰堂と共に平安時代の浄土教建築の代表例であり、当代の技術を集めたものとして国宝に指定されています。

金色堂の紅葉は、もう少し先のようでした

金色堂は、中尊寺創建当初の姿を今に伝える唯一の建造物で、方三間(正面、側面共に柱間が3間)、平面の1辺が5.5メートルの小型の仏堂です。堂は、1965年建設の鉄筋コンクリート造の覆堂内にあり、ガラスケースに納められて外気と遮断されています。

金色堂の最大の特徴は、内外を金箔で装飾していることです。内陣の壁面や天井は、夜光貝を用いた螺鈿細工や象牙、宝石によって飾られ、極楽浄土の有様を表現しています。また、本尊の阿弥陀如来坐像も金箔で覆われています。

金色堂が紅葉に包まれるとこんな景色が楽しめるようです

金色堂は、その美しさから「金色の極楽浄土」とも呼ばれ、多くの人々を魅了してきました。平成6年(1994年)には、世界遺産「中尊寺・毛越寺」の構成資産として登録されました。

9、弁財天堂

金色堂を背にし奥に進むと、弁財天堂があります。弁財天堂は18世紀初頭に建立されたものです。
本尊の弁財天十五童子像は、仙台藩主伊達綱村公の正室仙姫によって1705年に寄進されたものです。

堂内には、本尊の弁財天十五童子像をはじめ、千手観音菩薩二十八部衆像も安置されています。弁財天十五童子像は、18世紀の作で、江戸時代の彫刻の様式をよく伝える作品です。


10、能楽堂

弁財天堂の奥にある能楽堂は、白山神社の境内にあり、1923年に建立されたものです。
能舞台は、桁行7間、梁間5間、平面は正方形の単層建物で、屋根は檜皮葺の入母屋造です。

中尊寺能楽堂では、春と秋に「中尊寺能」という能楽の公演が行われています。中尊寺能は、中尊寺の各寺院の僧侶がシテ、ワキ、囃子、狂言を勤め、地元の人々が地謡を勤めるという全国でも珍しい演能形式で行われています。

白山神社の境内にある能楽堂
能や狂言を奉納する能舞台

まとめ

中尊寺の見どころは、やはり内外を金箔で装飾された重厚豪華な金色堂ですが、その栄華衰退の歴史は華やかで悲しい物語でもあります。

奥州藤原氏は、平安時代後期に東北地方を支配。
奥州藤原氏の初代当主となった清衡は、中尊寺を奥州藤原氏の氏寺とし、莫大な財力と権力を使って寺院の建設や修理を行いました。
また中尊寺は、浄土教の総本山である西方浄土浄土院を建立するなど、浄土教の隆盛に大きく貢献しました。
中でも金色堂は、平安時代後期の浄土教建築の代表例として、世界遺産に登録されています。

やがて中尊寺の栄華は、奥州藤原氏の滅亡とともに衰退していきます。
奥州藤原氏は、源頼朝との戦いに敗れ、滅亡しました。中尊寺も、奥州藤原氏の滅亡とともに衰退し、荒廃していきました。

しかし、中尊寺は、江戸時代に再興されました。仙台藩主伊達家の庇護を受け、金色堂などの重要な文化財が修理され、中尊寺の再興が進み今日にその姿を残しています。

中尊寺の栄華と衰退は、奥州藤原氏の歴史と共に歩んだものでした。中尊寺は、その優れた文化と歴史を今に伝えています。

江戸時代前期の俳人・松尾芭蕉は、1689年(元禄2年)に奥州平泉を訪れ、中尊寺に参拝しました。芭蕉は、中尊寺の栄華と衰退、そして奥州藤原氏の歴史に思いを馳せ、以下の句を詠み残しています。

夏草や兵どもが夢の跡

五月雨の降り残してや光堂